映画を観に行って、観終わってお茶を飲みながら感想を言い合ったりしても、
相手と観てるところが違っていたり、感激の度合いに差があったり、
そもそも観る前から観たい映画が違っている時点で、
互いの中のどこに「映画」をラベル付けしているかがわかる。

目の付け所、感性、好き嫌いが似たような人と出会うと
もう一人の自分に出会ったような気がして、人は嬉しい。

いちいち説明しなくても、「そうだよね!そこが良いよね!」と
好きなものが一致すると、ますますその人が身近に感じられる。

慎重な人は、映画の後に相手から「どうだった?」と訊かれて、
差し障りのない返事をしてから、相手の意見を聴いた上で、
そこに乗っかって、共通していることだけに相づちを打つ。

だって、同じ映画を観ているのに、真っ向から違うことなんて、
そうそうあるとは思えないし、
たかだか映画一つの感想で、
他の部分では認めているところもあるその相手と
喧々囂々(けんけんごうごう)となることもないし、
第一、そういうのって疲れる。

処世術っていうのかな。
あんまり自分が持ち合わせてないから、
その言葉自体、あんまり使わないけど、
そうしながら、自分の意見や主張を聴いてもらいながら
意見の一致や自分に近く相手を引き寄せられていくのならば
その処世術をぜひ身につけたいんだ。
誤解しないで欲しいけど、もちろん、相手を洗脳しようって気持ちじゃないよ。

イエスマンっていうのかな。
上から言われたことにはハイとしか答えない。
だって後が怖いから。
まぁ、人事権を握られてるってことを考えると、
痛い目に遭いたくないってことを過去に学習したのか、
してないけどそういう人を見ていて反面教師にしてしまったとか、
それは思考停止。
指示したその人のことを信頼しているとかではなくて、
ただ自分の保身のため。

それが悪いって言ってるんじゃないよ。
それだって生き方の一つ。
家族を守るためかもしれないもの。
思考停止って楽だものね。

そして、趣味とか、スポーツとか、性欲とか
そういうものに夢中にさせられることで
それはそれ、これはこれって思わされてしまうんだろうね。
ガス抜きされてるっていうのかな。
レクリエーションなんてのも疑わしいって視点も大切。

「国民はのどもの過ぎればすぐに忘れる」という言葉に、
「その通りだ」と思う君は
君自身が馬鹿にされてることに気がつかないんだね。

その言葉を言っている人と、言われている人との間にある「壁」や
「支配する、される関係図」に気がつかないんだよね。
政治家ってそんなに偉い人かい?
君も、その周辺でおこぼれに預かりたいのかい?

権力に楯突いたってどうにもなるわけないじゃん!と達観している君は、
同じ頭でどうして、「戦争になったらなったで仕方ない」と思えるんだろう?

15日、16日と仕事帰りに国会前のデモに行きました。
僕が国会前に行ったのは、5万人集まったと言われている原発再稼働反対の時以来です。
実はその時初めて、国会近くに行ったのでした。
15日は6万人集まったと言われています。
延べ人数にしたら、そのくらい集まったかもしれません。
だって、午後から深夜までずっと誰かが抗議し続けてたんだから。

何をするかと言えば、ただそこに一人で行くだけです。
そしてそこで起きていることを自分の目で見ます。
同じように一人で来ている人を見つけます。
若い女性もたくさんいます。

怒号を挙げている人を見ると、かなり引きます。
昨日も「アベ、シネー」とか叫んでいるおじいさんがいました。

もともとは一人ひとりだった学生が、ネットなどでつながり合って
SEALDsという仲間の輪になり、最近の抗議デモを支えています。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/161627
野党のどんな政治家の言葉よりも、彼らの言葉の方が
「人として当たり前の感覚」を持っているように僕には感じられ、
「そうだそうだ!」と口角を持ち上げながら聴くのですが、
涙が溢れてきます。

「強行採決絶対反対!」「安倍政権は今すぐ辞めろ!」とかのシュプレヒコールに混じって
「民主主義って何だ?!」っていうのがあったんですが、
ここに世代の違いを感じました。

シュプレヒコールなんて、僕にしても、フォークソング部だったからフーテナニーとかを
体験してたり、キャンプファイヤーでのシュプレヒコールもどきのコールゲーム体験程度ですが、
「民主主義って何だ?」「何だ!」のコール&レスポンスはまさにラップでした。
僕は近田春夫を連想しましたよ。

自分の言葉で、自分たちの感性で、それは嫌だ!、おかしい!を表明する、
その勇気を讃えたいし、応援したいし、
何より、自分だって当事者の一人です。

国会前にはたくさんの警察官が集められ、
歩道からデモに参加する人たちが車道に出ないように
柵(? コーンより強力な鉄のやつ)を立てるとともに
1メートル間隔くらいに並んで警察官自身が人の壁を作ります。

木々が並ぶ歩道に人が溢れたところで、
空からの撮影には、国会を人が囲んでいるようには見えません。
そんな映像が世界に流れたらマズイと権力側は考えているのでしょう。

マイクを持った人が話すタイミングで
警察官は「足下に気をつけて下さい」とか
「車道に出ないで下さい」とか
拡声器を使って、彼らの訴えが参加者に届かないようにします。

実に頭が良いです。
狡猾(こうかつ)ってこういうことを言うんだろうなぁ。

昔からなのかもしれないけど、今はもう、権力側に都合の悪い映像はTVで放送しません。
マクルーハンの言うように、クールメディアであるTVに包みこまれて
日本人のほとんどは行動力、蜂起する力を気づかぬうちに奪われてしまったのでしょう。
TVなんて観てるとバカになる、は本当なのでしょうね。
そして、大新聞も大きな力の前に、真実をごまかすメディアに成り下がってしまったのでしょう。
地方紙や日刊ゲンダイ、自由報道協会などが風穴を開けようと頑張っていますが。

インターネットのニュースだって、ほとんどは新聞のソースの二次使用だから
本当のことはつまり、自分がそこに出掛けていかなくちゃわからないってことなのですよね。

震災後、新幹線が復旧してすぐ福島に行きましたが、
知り合いの福島の人は、故郷とともに、故郷の人間関係の中で死ぬなら本望だと考えていることを知り、
理不尽なことが蔓延している世の中にあっても、
支え合う人々とのふれあいの中で、人間らしい暮らしを選択する彼らの覚悟に、
余計なことは言わず、ただ、彼らの健康と無事を祈ることにしました。

さて、話を戻すと
「のど元過ぎれば国民は忘れる」を許したら、
「国民なんてどうせ抵抗できないものさ」を許すことになっていくのだということを
君にはぜひとも想像して欲しいんだよ。